【おちょやん】の原作は?モデルは浪花千栄子で顔写真や経歴(夫子供)は?

こんにちは。

2020年11月30日からスタートする朝の連続テレビ小説の「おちょやん」。

この「おちょやん」は、松竹新喜劇の看板女優として活躍されていた浪花千栄子さんをモデルとした下町の人情物語となっています。

では、このモデルとなっている浪花千栄子さんってどういった方だったのでしょうか?
また、おちょやんの原作の本はあるのでしょうか?

この記事では、【おちょやん】の原作は?モデルは浪花千栄子で顔写真や経歴(夫子供)は?と題して記載していきたいと思います。

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おちょやんの原作はある?

出典:https://www.cinematoday.jp/news/N0118774

2020年11月30日から放送予定であるNHK連続テレビ小説の「おちょやん」

このドラマに原作の物語や小説があるのか気になって調べてみたのですが、原作の本などは存在しないようです。

「おちょやん」は、実在の人物である浪花千栄子さんをモデルとして物語を描かれているのですが、そのままの歴史を描いているのではなくて、物語を再構成して、フィクションとして脚本されています。

てっきり、おちょやんという小説か本があるのかと思っていましたが違うのですね!

タイトルの「おちょやん」の意味ですが、おちょぼさんが訛った大阪弁で、おちょぼさんというのは、茶屋や料亭などで働く小さい女中さんを意味するのだそうです。

物語では、主人公の竹井千代が大阪道頓堀に女中奉公に出るのですが、その女中奉公をしていた8年間が、主人公の原点であって、その言葉のかわいらしさや意地と誇りの象徴として、このタイトルが付けられたのです。

ちなみに女中奉公というのは貧しい家庭の子供が裕福な家に住み込みで働きにいくことをいうのだそうで、前金としてお金が支払われるようです。

お遣いや店番、子守や炊事など多岐に渡って奉公先のお手伝いに従事することになって、休みも盆と正月の2日だけという時代もあったのだとか。

有名な奉公に出されるお話しではおしんがありますね。

今回のおちょやんでも女中奉公に出るということなので、どういった風にストリーが描かれるのかとても楽しみですね。

おちょやんには原作の本などはないということがわかったのですが、ノベライズ本など、テレビ放送をきっかけに小説家されるととても嬉しいなと個人的に思いました。

モデルは浪花千栄子(顔写真)

おちょやんのモデルになった方は、浪花千栄子さんという方です。

出典:https://showaplayback.com/tag/%E6%B5%AA%E8%8A%B1%E5%8D%83%E6%A0%84%E5%AD%90

このオロナインの看板も有名ですよね。見た事がるという方も多いのではないでしょうか。

浪花千栄子さんのプロフィールについてみていきたいと思います。

名前:浪花 千栄子(なにわ ちえこ)

本名:南口 キクノ(なんこう きくの)

生年月日:1907年(明治40年)11月19日(66歳 没)

出身地:大阪府南河内郡東板持町(現在の富田林市)

職業:女優

生い立ちや経歴は?

浪花千栄子さんは、養豚業を営む家庭に生まれ育つのですが、とても貧しかったといいます。千栄子さんのお母さんは千栄子さんが4歳の時に病気で亡くなってしまったため、家のことと、弟の世話をしなくてはならず、小学校にも通えなかったのです。

お父さんがその後再婚をして、継母ができたため小学校に通い始めるのですが、新しいお母さんはお弁当も作ってくれず、また学校の月謝も払ってくれなくて、千栄子さんは先生から怒られるのが嫌で学校に通わなくなってしまうのでした。

継母は、千栄子のことが嫌いだといって、千栄子はおばあさんのところに行かされ、その後弟までもおばあさんのところに来ることになります。しかしおばあさんの家も貧しくて口減らしのために千栄子は奉公にだされることになるのです

そうして、8歳の時には大阪道頓堀の仕出し弁当やに女中奉公に出されるのです。
8歳なんてまだまだ子供ですよね、小学校2年生くらいです。
そんな年齢から住み込みで働くなんて涙がでてきますね。

その後、は京都で女給として働かれることになります。
18歳の時に知り合いの紹介で舞台や映画などに出演をするようになり、香住千栄子の芸名を名乗ります。

しかし給料もまともにもらえないことも多かったため、映画界から足を洗うことになるのです。

8歳から一人で生きてこられてとてもたくましさを感じます。
たくさん苦労をされていることがうかがえますね。

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結婚や夫・子供はいた?

浪花千栄子さんは、1930年の23歳の時に松竹家庭劇に加わっています。

その松竹家庭劇を旗揚げした、2代目渋谷天外と同年1930年に結婚します。

しかし2人の間には子供はできませんでした。

1948年にはご主人である天外が旗揚げした松竹新喜劇の看板女優として浪花さんは活躍してい

きます。しかし、2代目天外と新人女優九重京子との間にまさかの子供が生まれてしまいます。

ご主人の不倫の理由で浪花さんは離婚をして、1951年(昭和26年)松竹新喜劇を退団されます。

松竹新喜劇には1948年から1951年までしか所属されていないことになります。
このことがきっかけで浪花さんは、芸能界から身をひくことになって、消息不明となります。

その後復活していた

浪花さんは、一時芸能界から消息不明となっていたのですが、NHKのプロデューサーである富久進次郎さんが、浪花さんを捜索して見事見つけ出し、NHKラジオの番組である『アチャコ青春手帖』に花菱アチャコの母親役として出演し、芸能界を復活します。

インターネットも携帯もない時代に、プロデューサーの方はよく見つけられたと思います!
どのようにして見つけられたのでしょうね!

その後は、数々の映画やテレビドラマに出演しお茶の間に人気者になっていかれます。
おちょやんでは、浪花さんのご主人の役である天外さんを、天海一平として成田凌さんが演じられることになっています!

 
 
 
 
 
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昼飯はピザだね

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浪花千栄子さんは、女優として働けなくなった時のことを考えて、天竜寺付近の土地を購入して旅館 竹生(ちくぶ)を建設します。
その後も事業を広げ、レストラン・茶屋・蕎麦屋なども経営をし、従業員も雇用し、幅広く事業を広げて実業家としても一面ももっていたのです。

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浪花千栄子の晩年

浪花千栄子さんには子供がいなかったため、浪花さんは養女をもらっています。

南口輝美さんといいます。

浪花さんの死後は南口輝美さんが旅館を継いだのですが、現在は旅館は廃業しています。

浪花千栄子さんは数多くの映画やドラマなどで活躍されて、名女優、名脇役として人気者になっていった一方で、大塚製薬のオロナイン軟膏の看板にも起用され「大阪のお母さん」と親しまれるようになっていきます。

オロナイン軟膏に起用されたきっかけというのが、浪花さんの本名は南口キクノ(なんこうきくの)さんだったので、軟膏効くの というシャレからだそうです。

浪花千栄子さんは、1973年12月22日消化管出血のため自宅で急死されます。

66歳でした。

死後に、勲四等瑞宝章を受章されています。

まとめ

今回は、【おちょやん】の原作は?モデルは浪花千栄子で顔写真や経歴(夫子供)は?と題して記載いたしました。

浪花千栄子さんは、親の愛情に恵まれなくて、継母にいじめられて、8歳から奉公に出されとても苦労されながら、女優への道を進まれたのだということがわかりました。

浪花千栄子さんのことについて調べてみて思ったことは、千栄子さんのお父さんはなぜ継母の味方をして、千栄子さんや弟さんを守ってくれなかったのかと腹立たしい気持ちでいっぱいです。

とても苦労をされてきたからこそ、浪花千栄子さんは喜劇女優として笑いを与えるお仕事に魅力を感じられたのかもしれませんね。

おちょやんでは杉崎花さんがどう浪花千栄子さんを演じられるのか今からとても楽しみにしたいと思います!

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コメント

  1. 黒川幸次 より:

    ボンカレーの写真は、浪花千栄子さんでは有りませんよ。
    写真が間違っています。これは確か松山○○さんです。